はじめに
Pythonは現在、世界中で最も人気のあるプログラミング言語の一つです。
初心者からプロフェッショナルまで、幅広いユーザー層に支持されています。
では、このPythonはどのようにして生まれたのでしょうか?
この記事では、Pythonの創始者であるGuido van Rossum(グイド・ヴァン・ロッサム)による、Python誕生の背景や物語を紹介します。
オランダでのスタート
Guido van Rossumはオランダ出身で、国立数学情報工学研究所(CWI)で働いていました。
CWIは、政府が支援する研究機関で、彼はそこでABCというプログラミング言語の開発プロジェクトに参加していました。
ABCは、プログラミング言語としての成功を収めることはできませんでしたが、Guidoはこの経験を通じて、プログラミング言語のデザインに関する多くの知見を得ました。
これが、後のPythonの基礎となります。
Amoebaプロジェクトでの気づき
ABCのプロジェクトが終わった後、GuidoはAmoebaという分散システムの開発に携わりました。
このプロジェクトで、彼は新しい問題に直面します。Amoebaのアプリケーションは、シェルスクリプトかC言語で書かれていましたが、それぞれに限界がありました。
シェルスクリプトは手軽に使えるものの可読性が低く、C言語は強力でしたが、書くのに時間がかかります。
Guidoは、「シェルスクリプトの手軽さと、C言語のパワフルさを兼ね備えた、新しいプログラミング言語が必要だ」と感じるようになりました。
こうして、彼は自分でそのような言語を作ろうと決意します。
Pythonの誕生
Guidoは、最初は「インタープリタの作成に2〜3ヶ月かかるだろう」と考えていました。
その後、チーム全体の生産性が向上し、結果的に時間を取り戻せると見込んでいたのです。
しかし、実際にはプロジェクトは予定よりも長引きました。
それでも、彼はPythonを完成させ、C言語のパワフルさとシェルスクリプトの手軽さを融合させた新しいプログラミング言語を形にしました。
オープンソースとしての公開
約1年後、GuidoはPythonをオープンソースとして公開しました。
当時はまだ「オープンソース」という言葉が存在していなかったため、その言葉は使われていませんが、公開後すぐにPythonの魅力が広まりました。
小さなコミュニティが形成され、開発者たちはPythonを使い始め、改善点やフィードバックをGuidoに送りました。
このコミュニティは、相互に助け合いながら成長し、Guidoは最終的な決定を下す役割を担っていました。
新たなガバナンス体制へ
2018年7月、Guido van RossumはPythonの「生涯独裁者(BDFL)」の役職を辞任しました。
それ以来、Pythonコミュニティは新しいガバナンスモデルへ移行しています。
現在は、単独のリーダーではなく、複数のメンバーから成る委員会によってPythonの未来が導かれています。
この体制は、Pythonのさらなる成長と発展を支えるものとなっています。
まとめ
Pythonの誕生は、Guido van Rossumの個人的なビジョンと経験から始まりました。
彼がオランダで感じた「もっと使いやすく、表現力豊かな言語を作りたい」という思いが、今日のPythonの礎を築きました。
そして、Pythonはオープンソースとして公開され、世界中の開発者たちの手によって成長を遂げてきました。
現在、Pythonは初心者からプロフェッショナルまで、多くの人々に愛される言語となっています。
その背景には、Guidoの情熱とコミュニティの支えがあったのです。
Pythonを使い始めたい方は、このような背景を知ることで、さらに興味を深められるでしょう。
YouTubeでたまたまこの動画に出会いました。
Pythonの歴史を知ることができて良かったです。
開発者の動画をディグってみるのもいいかもしれないです。
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